TAK BLADE PUTTER

カスタムナイフTAK FUKUTAブランドの創設者
 
福田 登夫とは・・・
 
ナイフの神様と言われているR.Wラブレスの初めての弟子であり日本人として初めてのアメリカンナイフギルドのメンバーになった。
福田氏が制作した高級ナイフは、日本より海外で高く評価され販売されていた。TAK FUKUTAブランドのナイフは、洗練されたデザインでけでなく「道具としてのナイフ」に徹底的にこだわる登夫氏の姿勢がストレートに反映されたブランドと言われている。
 
1960年 第一回鈴鹿サーキット18時間耐久レース5位入賞。
                モトクロス大会では、数回チャンピオンになる。
1974年 メキシコ国際大会 クレー射撃日本代表出場
1975年 ミューヘン世界選手権大会 クレー射撃日本代表
1976年 モントリオールオリンピック
        クレー射撃最終候補選手となる
2004年 イタリアワールドカップクレー射撃日本代表出場2004年  
                エジプトワールドカップクレー射撃日本代表出場2005年  
               「クレー射撃4大協議」上位入賞
 

━━━略 歴1941年岐阜県関市で生まれた。
父福田一兼氏が創設した福田刃物製作所の 2代目社長として高級ポケットナイフやハンティングナイフの製造を行い1970年頃よりアメリカに渡り商社とオリジナルブランドTAK FUKUTAの販売を始める。1978年世界水準のナイフを追及し続けてきた登夫氏は、単身でアメリカに渡り後にナイフの神様と呼ばれるロバート・ウォルド・ラブレス氏に弟子入りを認められ師事する。その年に制作したラブレスフォールディングナイフが認められ日本人初めてのアメリカンナイフギルドのメンバーとなる。のちにラブレスが「日本人は視覚に訴える事が上手」と評しており登夫氏とのナイフ作りがラブレス氏のデザインにも大きく影響したと思われる。またこの頃に著名なる同メンバーの1人であるウイリアム・F・モーランJrよりU.S.A512層ダマスカス鋼ナイフの製法を学ぶ。帰国後、海外メーカーの高級ナイフや米国政府依頼で特殊部隊用ナイフの製造販売を始める。日本国内では、実際に使用できる道具としてのナイフ作りにこだわり北海道などでフィールドテストをしながら、使いやすさ、堅剛さ、デザインを兼ねそろえたナイフを探究しファクトリーナイフの製造の傍ら年に数本のカスタムナイフの制作を手がけていた。国内販売では、ナイフコレクターや麻生前総理ほか著名な方が愛用されているがカスタムナイフとしての量は限られている。また、購入が安易な商品としては、フローリストナイフなどがある。登夫氏のアメリカでの日本人通訳がのちにラブレス氏の夫人となり、2人で何度も関市の工場に来て数週間滞在しておりその都度ラブレス氏にアメリカでラブレスブランドの制作を誘われるが、TAK FUKUTAブランドと後継者 福田一浩氏(三代目現社長)を育てる為に断っていた。2009年4月逝去。翌10年9月には師匠であり友人であったR.W.ラブレスも逝去している。